義務教育の「義務」とは何への義務か(前編)
中学生の7人に1人が不登校
■平和主義は学校崩壊への道
それでも1970年代ぐらいまでは、勉強は豊かになるための効率的な手段
だと構えることで、この点をカバーできました。
家庭が貧しくても、学校に行って頑張れば、いい大学や会社に入って出世で
きるというアレです。
しかし今や、学校の成績が親の所得によって大きく左右されるのは常識とな
って久しい。
学校に行く意味が分からなくて当たり前ではないでしょうか?
また教育勅語に「父母に孝に、兄弟(けいてい)に友に、夫婦相和し」とい
う一節があるとおり、「国の発展・繁栄のために勉強して優秀にならねばなら
ない」という発想は、「国の発展・繁栄のために家庭円満を心がけねばならな
い」という発想とも重なり合う。
家庭が社会の基本的な単位である以上、いくら勉強して個人レベルで優秀に
なっても、家庭が崩壊状態というのでは、社会は安定せず、国の発展・繁栄も
ありえません。
だからこそ昔から「修身整家治国平天下(しゅうしん・せいけ・ちこく・へ
いてんか)」なる表現があるのです。
天下を取るには、まず自分が立派な行いをできるようになり(修身)、次に
家庭を整え(整家)、続いて国家の経世済民を達成する(治国)という手順を
踏まねばならないという意味ですよ。
しかるに戦後日本型の平和主義は、「家」についても、封建的・抑圧的だと
いう理由で否定してしまいました。
親に離婚歴や不登校の過去がある生徒が、不登校(傾向)になりやすいのも、こう考えればよく分かる。
離婚は「整家」の否定ですし、不登校の過去は「(学校を通じた)修身」の
否定ではありませんか。
学校に行こうという気になるわけがないでしょう。
ダメ押しというべきか、新自由主義に起因する貧困化と格差拡大のせいで、
貧困層の子供たちにとり、勉強は豊かになるための手段ですらなくなった。
ところが新自由主義は、経済にたいする政府(つまり国家)の関与を否定し
たがる点で、平和主義と相性が良いとくる。
日本財団の調査は、平和主義が学校崩壊への道でもあることを示しているの
です!!
・・・しかも、わが国の義務教育が直面している問題は、これだけではあり
ません。
後編ではそちらを取り上げましょう。